大正時代のチョコレート

大正時代のチョコレート

大正時代は森永製菓や明治製菓による一貫製造など、本格的なチョコレート生産が始まった時代です。

 

 

1912年(大正元年)、森永製菓はチョコレートの輸出業務を開始し、チョコレートクリームを満州(現在の中国東北部)、中国、南洋各地に輸出するようになりました。
国産チョコレートの海外進出の始まりです。


1914年(大正3年)に始まった第1次世界大戦で、欧米参戦国に軍需品等を供給して好景気になったことが、菓子業界にとっても販売拡大させるきっかけとなりました。


当時、ヨーロッパ各国からアジアに輸出していた洋菓子の販売権が日本にもたらされ、チョコレート加工業者や製菓業者も増えていきました。

 


1918年(大正7年)、森永製菓が田町工場に新しく工場にアメリカから導入したチョコレート生産設備の建設を開始し、カカオ豆からのチョコレート一貫製造に着手しました。
同年9月、森永製菓は日本で初めて原料カカオ豆から一貫製造されたチョコレートを、10月にはミルクチョコレートを発売しました。


翌1919年(大正8年)には、カカオ豆からココアパウダーを製造、発売しました。
日本初の飲料用ココアでした。

 


その後、1926年(大正15年)には、明治製菓が神奈川県の川崎工場でチョコレートの一貫製造を開始し、「明治ミルクチョコレート」を発売しました。

 


大正時代の終わりは、森永製菓や明治製菓による大量生産によって、日本におけるチョコレート生産量は急激に増加しました。
次第に日本におけるチョコレートの消費も、加速していくことになります。

 

 

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